ぬちぐすいのブログ

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レターポット

2021年8月31日

レターポットというウェブ上で手紙のやりとりができるサービスがあります。

手紙のやりとりといっても、
単なるメールではなくて、
まずは文字を購入します。
100レター540円。
一文字にすると5.4円。

買った文字数だけレターを送れます。
もらったレターで、その分だけレターを送れます。

例えば100レター買って、
100レターを友達に送る。
受け取った友達は、100レター分、誰かに送れるというものです。

ただしレターには有効期限があって
4ヶ月で冷めて(無効になって)しまいます。

期限内に使わなければ!

このレターポットの素晴らしいと思う点は、

「言葉はきれいでいられるものなのに、
無尽蔵に溢れているから罵詈雑言などや意味のない嫌な言葉を使ってしまうのでは?
ならば購入した分だけ言葉が使えるようにして大事に使ってもらおう。制限ある文字をタレントの不倫に費やすことはないでしょう。」

「期限をつけて、なくなってしまうものならば、無駄に溜め込むことをせずにどんどん循環させられる」

こういう視点で作られているところです。

ホントにシャレが効いているし、
視点が優しいし、
コンセプチュアルアートにも思えて
ジーンとしちゃった。

実際、試してみて
ちょっとワクワクしました。

購入した大事な少しの文字で使うのは、
あいさつだったり、感謝だったり。

あいさつは、あなたのことを気にしています、
という気持ちを表すさりげないものだと思うし、

感謝は、もしかしてもっとも相手に伝えたいことなのかもしれません。

なんてことを久しぶりに思い出しました。

https://letterpot.otogimachi.jp/sign_in




パラリンピック

2021年8月26日

パラリンピックという言葉を知ったのは
確か、中学一年の時。
43年前。

体育の先生が教えてくれた。

その後、何かの折に
パラリンピックという言葉を使って話をしても
私の記憶では、
ほとんどの人が知らなかった。

そのうち、パラリンピックは
私の勘違いだったのか?と思ってしまっていた。

この10年、20年、ぐらいですか?
パラリンピックが知られるようになったのは。

隔世の感があります。

それはともかく。

今朝のニュースで、
「子供たちへの観戦、揺らぐ」というものを目にしました。

要は、
パラ観戦を子供に限ってはOKという方針が、
緊急事態宣言下の現在、
各学校判断でやる、やらないが揺らいでいるという話。

ある校長先生が、
「子供のうちに生のパラを見せて、
多様性の社会を感じてほしい、云々」と言っていました。

そこはかとない違和感を感じてしまったのは、

ならば、身近な障害者のボランティアをさせたらいいんじゃない?と。

パラ選手というある意味、特別な障害者の方の頑張りだけを見てしまったら、
頑張れない障害者に対して子供たちはどう思うか?

頑張れない人、できない人、生きることすら大変な人、
そういう障害の人がたくさんいるんだよ。

どんな環境や状況でも頑張る姿は美しいし素晴らしい。
いろんな障害を知り、他を理解することをとてもいい。

でも、教育する上では
まず自分の生活する場での多様性に目を向けて
身近なものとして捉えることが大事なのではないかな。

パラを経験させるのはそれからでよくないか?

いや、どちらが先でもいいのかもだけど、

なーんかね、違和感ありました。 




  
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