ぬちぐすいのブログ

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ライン@

価値ある

2020年2月26日

障害のある人が

ふと自分に対して無価値観を抱くんじゃないかと思った。

特に、中途で障害を持つようになった人など。

 

小さな頃から

なんとなく価値のある人にならないといけないと思い込んでいる。

人のためになるような人になる、とか、

なにか成し遂げて人に喜ばれるような人になる、とか、

人になにかをすることが素晴らしいように思い込んでいる。

 

能動的に人に対してなにかができない障害があったとしたらどうする?

価値がない?

 

人は生きているだけで価値があるのだ、

という言葉もよく耳にする。

能動的に人のためにならなくても価値があるのか?

あるのだと思う。

 

人は生きている中でいろんな経験をする。

人と接することでいろんなことを考えて、感じて、学ぶこともある。

人と接しなくとも、その人の存在を認めただけで、自分になにかしら変化が生まれたり、生まれなかったり。

それが価値なのじゃないかと思う。

 

要は、生きているだけで価値まみれ(?)

自分にとっても人にとっても。

 

あえて、人のためになるとか、価値ある人になるとか、

それを目標にするのはおかしいように思うのだ。

その刷り込まれた目標のために苦しむ人がいるのは、

やはり違うように思えてくる。

 

そんなことを考えていたら、

別に人のためになるような価値ある人にならなくてもいいんじゃないかと思えてきた。

なりたければなればいいけど。

どっちでもいいというか。

大切なのは自分の心が幸せであることなのでは。

自然に湧いてくる優しさや冷酷さなどを見過ごさず大事にしながら

自分の心の安寧を保って生きていきたい。

 

 

 

 




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