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~参考文献~ ◆「難経入門」遠藤了一著 オリエント出版社 ◆「難経ハンドブック」池田政一著 日本の医道社 ◆「難経の研究」木間祥白著 日本の医道社 ◆「難経本義」山下詢訓 名著出版 ◆「わかりやすい難経の臨床解説」杉山勲著 緑書房 ◆「ハイブリッド難経」割石務文著 六然社 ◆「難経解説」東洋学術出版 ◆ 「意釈八十一難経/小曽戸丈夫+浜田善利 共著」築地書館 ◆「経絡治療 難経を学ぶ」名越礼子 経絡治療学会 ◆「難経真義」池田政一著 六然社 ◆図説 難経~易経と難経 西岡由記著 宝栄出版 ◆「難経鉄鑑」広岡蘇仙著・伴尚志訳 たにぐち書店 |一難~三難 |四難 |五難 |六難 |七難 |八難 |九難 |十難 |十一難 |十二難 |十三難 |十四難 | |十五難 |十六難 |十七難 |十八難 |十九難 |ニ十難 |二十一難 |二十二難 |二十三難 |二十四難 | |二十五難 |二十六難 |二十七難 |二十八難 |二十九難 |
一難に曰く、十二経に皆動脈あるに、独り寸口を取りて以て五臓六腑の死生吉凶を決する法とは、何の謂いぞや。
然り、寸口は脈の太会にして、手の太陰の脈動なり。人は一呼に脈のすすむこと三寸、一吸に脈の進むこと三寸なれば、呼吸定息に脈は六寸をすすむ。
人は一日一夜に凡て一万三千五百息刺、脈のすすむこと五十度にして身をめぐる。漏水下ること百刻に、栄衛は陽をすすむこと二十五度、陰をすすむことも亦二十五度にて一周を為す也。故に五十度にしてまた手の太陰に会す。寸口は五臓六腑の終始するところなるが故に、法は寸口に取る也。
(訳)
/一難
正経十二経脈にはみんなそれぞれ脈動部があるのに、寸口の脈、つまりトウ骨動脈の所だけを取り上げて脈動をみることで、五臓六腑の疾病の軽重や予後の良否を診断できるってのはどういうことなの?
/
それはだね、寸口は十二経脈の経脈がすべて会うところで、手の太陰肺経の経脈が拍動している所なんだ。
一般に、健康な人の脈気は、一回の呼気の間に三寸、一回の吸気に三寸進むものだから、合計一呼吸の間に六寸進むことになる。
人は、一日にで一万三千五百回の呼吸をするから、脈気はかける六寸(13500×6=81000)で、八万千寸進むんだよ。
そして、人の経脈の長さが十六文ニ尺だから、(81000÷1620=50)一日に全身を50回循環するんだ、わかるかな?
一日を百刻に区切る水を漏れたらす水時計が、丁度、百刻目を終えたとき、
つまり、一日の終わりの 時に栄衛の気は、陽つまり昼に25回、陰つまり夜に25回、合計五十回全身を循環して、又、手の太陰肺経
の寸口部に戻ってくるというわけなんだ。
この寸口部は、五臓六腑をめぐる脈気の循環する始まりであり終わりといえるから、寸口の脈をみただけで、身体全体をみることができるということなんだよ。
脈学~寸口の脈に、尺・寸というのがあるのはなぜ?
二難曰、脈有尺寸、何謂也。
然、尺寸者脈之大要会也。従関至是尺内、陰之所治也。
従関至魚際是寸口内、陽之所治也。故分寸為尺、分尺為寸。
故陰得尺内一寸、陽得寸内九分。
尺寸終始一寸九分、故曰尺寸也。
二難に曰く、脈に尺寸あり、とは何の謂ぞや。
然り、尺寸は脈の大要会なり。関より尺に至るは是れ尺の内にして陰の治まる所なり。
関より魚際に至るは是れ寸口の内にして陽の治まる所なり。故に分寸を尺と為し、分寸を尺と為す。
故に陰は尺内に一寸を得、陽は寸内に九分を得るなり。
尺寸の終始は一寸九分、故に尺寸というなり。
(訳)
/二難
脈診の部位である寸口部に、さらに尺と寸があるのはどういう意味なの?
/
それはだね、尺と寸は十二経脈の気が会って合流するところで重要なところなんだ。
関、つまりトウ骨茎状突起の中心部から、肘関節の内側にある尺沢までは尺といって、ここは陰の気を管理するところなんだよ。
関から掌にある魚際までは寸といって、ここは陽の気を管理するところなんだよ。
だから、関を境目にして、尺と寸を分けるんだ。
陰は尺のところの一寸とって、陽は寸のところの九分をとるんだよ。全部で一寸九分になるのが分かるかな?そこで、この部分を尺寸というんだ。
脈学~脈象に太過・不及・陰陽相乗などあるけどそれはなに?
三難曰、脈有大過、有不及、有陰陽相乗、有覆、有溢、有関、有格、何謂也。
然、関之前者陽之動也、脈当見九分而浮。過者法曰大過、減者法曰不及。
遂上魚為溢、為外関内格、此陰乗之脈也。
関以後者陰之動也。脈当見一寸而沈。過者法曰大過、減者法曰不及。
遂入尺為覆、為内関外格、此陽乗之脈也。
此曰覆溢、此真蔵之脈、人不病而死也。
三難に曰く、脈に大過あり、不及あり、陰陽が相い乗ずることあり、覆あり・溢あり、関あり、格あり、とは何ぞや。
然り、関の前は陽の動なり、脈は当に九分に見れて浮きなるべし。過ぎたる者は法に大過といい、減ずる者は法に不及という。
遂んで魚に上がるを溢となし、外関内格となす。此れは陰の乗ずる脈なり。
関以後は陰の動なり、脈は当に一寸に見れて沈なるべし。過ぎたる者は法に大過といい、減ずる者は法に不及という。
/三難
脈象に太過、不及、陰陽相乗、覆、溢、関、格と言ったものがあるけど、これはどういう意味なの?
/
それはね、まずね、関の前・・・つまり寸口部は陽の脈が拍動する所で、長さ九分で、浮脈を表すんだよ。それが、寸口の部の正常な脈なんだ。
だから、九分よりはみだして、浮きすぎているのは、太過と言うんだ。
そして、九分より足りなくて、沈んでいるのは、不及と言うんだよ。
また、九分よりとってもはみだしていて、浮きすぎていて、上の方の魚際まで溢れてしまっているものを、溢と言うんだ。わかるかな?
これは、外関内格とも言い、陰乗の脈とも言う。
ちょっと説明しよう。
外関内格と言うのは、関が関所の関だろ?格が格闘技の格だろ?
つまり、外でせき止めて、内でたたかっているってことなんだよ。言い換えると、陽でせき止めて、陰でたたかっている。これは陰が盛んで陽に乗じる脈なんだ。陰がたかぶって陽を侵してほろぼしている悪い脈なんだ。
次にね、関の後ろ・・・つまり尺中の部は陰の脈が拍動する所で、長さ一寸で、沈脈を表すんだよ。それが、尺中の部の正常な脈なんだ。
だから、一寸よりはみ出して、沈みすぎているのは、太過と言うんだ。
そして、一寸より足りなくて、浮いているのは、不及と言うんだよ。
また、一寸よりとってもはみだしていて、沈みすぎていて、下の方の尺沢まで覆ってしまっているものを、覆と言うんだ。 さっきの逆だと考えてくれればわかりやすいかな?
これは、内関外格とも言い、陽乗の脈とも言う。
内でせき止めて、外でたたかっていることなんだよ。これは、陰でせき止めて、陽でたたかっている。陽が盛んで陰に乗じている脈なんだ。陽がたかぶって陰を侵してほろぼしている悪い脈なんだ。
以上のように、寸口の部=陽の脈が盛んで、尺中の部=陰の脈を覆って、寸口・尺中ともに浮なる陽脈となることを覆と言い、反対に、尺中の部=陰の脈が盛んで、寸口の部=陽の脈にまで溢れて、寸口・尺中ともに、沈なる陰脈となることを溢と言うんだよ。
これは真蔵の脈、つまり臓腑の脈であって、浮もしくは沈に偏った胃の気のない脈(=独陰独陽)で、死脈とされる。
一見、病気っぽくなくても、この脈を表していたら死んでしまうことがある脈なんだよ!
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