家庭菜園のゴーヤが全然 成りません。
先日、
「去年、トマトの苗を植えたのだけど
全然、採れなかったので、
これでは買った方が安いから、今年はやめました」
という話を伺って、
お金についてふと考えました。
「お金は対価」というのは、多くの人の認識通りだと思うのですが、
その対価は、いつまで有効なんだろう、と。
支払ったり、いただいた時点で終わっている気もするし、
トマトができるまで、できなかったまでの期間ずっと有効の気もするし、
たとえば愛着をもって長い間 使い続けている皮革のバッグなどは、
何十年か経ったのち
しみじみ「本当にいい買い物をした」と思うかもしれない。
何十年もの間、ずっと対価の感覚を持ち続けているということなのか。
なんなんだ、その感覚。
随分、お金に囚われているようにも思うけど。
でもたとえば、
なけなしのお金で
清水の舞台から飛び降りたつもりで
お気に入りを買ったとしたら、
それは金額というより、
「苦労して」手に入れたという想いが、
値段に投影されているだけなのかも。
・・・にしても、
引きずるもんだなぁ、そういう感覚って。
で、ゴーヤですが、
今の私は、
「なかなかできないな~」
「こんなに大きく葉っぱはなってるのにな~」
「わさわさして勢いがあってかわいいな~」
「どうしたらできるのかな~」
とか、
いろんなことを考えたり、思ったり・・・
そんなきっかけを与えてくれているゴーヤにありがたいと感じているのでした。
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