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鍼灸の古典「難経」のお勉強コーナー
~参考文献~
「難経入門」遠藤了一著 オリエント出版社 「難経ハンドブック」池田政一著 日本の医道社
「難経の研究」木間祥白著 日本の医道社 「難経本義」山下詢訓 名著出版
「わかりやすい難経の臨床解説」杉山勲著 緑書房 「ハイブリッド難経」割石務文著 六然社
「難経解説」東洋学術出版  「意釈八十一難経/小曽戸丈夫+浜田善利 共著」築地書館
「経絡治療 難経を学ぶ」名越礼子 経絡治療学会 「難経真義」池田政一著 六然社
図説 難経~易経と難経 西岡由記著 宝栄出版 「難経鉄鑑」広岡蘇仙著・伴尚志訳 たにぐち書店


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  脈学~四季の平脈と病脈と死脈と

十五難曰、経言、春脈弦、夏脈鈎、秋脈毛、冬脈石、是王脈耶、将病脈也。
然、弦鉤毛石者、四時之脈也。
 春脈弦者、肝東方木也、万物始生、未有枝葉、故其脈之来濡弱而長、故曰弦。
 夏脈鈎者、心南方火也、万物之所茂、垂枝布葉、皆下曲如鈎、
 故其脈之来疾去遅、故曰鈎。
 秋脈毛者、肺西方金也、万物之所終、草木華葉皆秋而落、其枝独在若毫毛也、
 故其脈之来軽虚以浮、故曰毛。
 冬脈石者、腎北方水也、万物之所藏也、盛冬之時水凝如石、
 故其脈之来沈濡而滑。故曰石。此四時之脈也。
如有変奈何。
然、春脈弦、反者為病。何謂反。然、其気来実強、是為大過、病在外。
 気来虚微、是謂不及、病在内。気来厭厭聶聶、如循楡葉曰平、
  益実而滑、如循長竿曰病。急而勁益強、如新張弓弦曰死。
 春脈微弦曰平、弦多胃気少曰病。但弦無胃気曰死。春以胃気為本。
 夏脈鈎、反者為病。何謂反。然、其気来実強、是謂大過、病在外。
 気来虚微、是謂不及、病在内。其脈来累累如環、如循琅杆曰平、
 来而益数、如鶏挙足者曰病。前曲後居、如操帯鈎曰死。夏脈微鈎曰平、
 鈎多胃気少曰病。但鈎無胃気曰死。夏以胃気為本。
 秋脈毛、反者為病。何謂反。然、其気来実強、是謂大過、病在外。
 気来虚微、是謂不及、病在内。其脈来藹藹如車蓋。按之益大曰平、
 不上不下、如循鶏羽曰病。按之粛索、如風吹毛曰死。
 秋脈微毛曰平、毛多胃気少曰病。但毛無胃気曰死。秋以胃気為本。
 冬脈石、反者為病。何謂反。然、其気来実強、是謂大過、病在外。
 気来虚微、是謂不及、病在内。脈来上大下兌、濡滑如雀之啄曰平。
 啄啄連属、其中微曲曰病、来如解索去如弾石曰死。
 冬脈微石曰平。石多胃気少曰病、但石無胃気曰死。冬以胃気為本。
 胃者水穀之海、主稟四時、皆以胃気為本。是謂四時之変、病、死生之要会也。
 脾者中洲也。其平和不可得見、衰乃耳見。
 来如雀之啄、如水之下漏、是脾衰見也。


 十五難に曰く、経に言う「春の脈は弦・夏の脈は鈎・秋の脈は毛・冬の脈は石なり。」と。
 是れは王脈なりや、将また病脈なりや。
然り、弦・鈎・毛・石は四時の脈なり。春の脈の弦なるは、肝は東方の木なれば、万物は生
 じ始むるも、未だ枝葉有らず。故に其の脈の来ること濡弱にして長し。故に弦という。
  夏の脈の鈎なるは、心は南方の火なれば、万物の茂る所、枝を垂れ葉を布げ、皆な下に曲
 りて鈎の如し。故に其の脈の来ることは疾く、去ることは遅し。故に鈎という。
 秋の脈の毛なるは、肺は西方の金なれば、万物の終る所、草木華葉は皆な秋にして落ち、
 其の枝のみ独り在りて、毫毛の如し。故に其の脈の来ること軽虚にして以て浮なり。故に
 毛という。
 冬の脈の石なるは、腎は北方の水なれば、万物の蔵する所、盛冬の時は水は凝りて石の如
 し。故に其の脈の来ること沈濡にして滑なり。故に石という。此れは四時の脈なり。
変あるが如きときはいかに。
然り、春の脈は弦なれば、反する者は病と為す。何をか反すると謂うや。
然り、其の気の来ること実強なるを是れ太過といい、病は外に在り。其の気の来ること虚微
 なるを是れ不及といい、病は内に在り。気の来ること厭々聶々として楡の葉を循るが如き
 を平といい益々実にして滑なること長竿を循るが如きを病という。急にして勁く益々強き
 こと新張の弓の弦の如きを死という。
 春の脈は微弦なるを平といい、弦のみ多く胃の気の少なきを病といい、但だ弦にして胃の
 気の無きを死という。春は胃の気を以て本となす。
夏の脈は鈎なれば、反する者は病と為す。     何をか反すと謂うや。
然り、其の気の来ること実強なるを、是れ太過といい、病は外に在り。其の気の来ること虚
 微なるを是れ不及といい、病は内に在り。其の脈の来ること累々として環の如く、琅杆を
 循るが如きを平といい、来ること益々数にして鶴の足を挙ぐるが如きを病といい、前は曲
 り後は居すること帯鈎を操るが如きを死という。
 夏の脈は微鈎なるを平といい、鈎のみ多く胃の気の少なきを病といい、但だ鈎にして胃の
 気の無きを死という。夏は胃の気を以て本と為す。
秋の脈は毛なれば、反する者は病と為す。     何をか反すと謂うや。
然り、其の気の来ること実強なるを、是れ太過といい、病は外に在り。気の来ること虚微な
 るを、是れ不及といい、病は内に在り。其の脈の来ること藹々として車蓋の如くにして、
  之を按じて益々大なるを平といい、上らず下らずして鶏羽を循るが如きを病といい、之を
 按じ粛索として風が毛を吹くが如きを死という。秋の脈は微毛なるを平といい、毛のみ多
 く胃気の少なきを病といい、但だ毛にして胃の気の無きを死という。秋は胃の気を以て本
 と為す。
冬の脈は石なれば、反する者は病と為す。     何をか反すと謂うや。
然り、その気の来ること実強なるを是れ太過といい、病は外に在り。気の来ること虚微なる
 を、是れ不及といい、病は内に在り。脈の来ること上は大に下は兌にして、濡滑なること
 雀の啄の如きを平といい、啄々と連属して其の中が微に曲るを病といい、来ること解索の
 去るが如く弾石の如きを死という。
冬の脈は微石なるを平といい、石のみ多くの胃の気の少なきを病という。
 但だ石にして胃の気の無きを死という。冬は胃の気を以て本と為す。
 胃は水穀の海にして、四時に稟くることを主り、皆な胃の気を以て本と為す。是を四時の
 変と謂い、病・死・生の要会なり。
 脾は中州なり。其の平和は得て見わるを得べからずして、衰えてすなわち見わるるのみ。
 来ること雀の啄むが如く、水の下漏するが如きは、是れ脾が衰えて見わるるものなり。


(訳)
/十五難
 昔の医書にはこう書いてあるけど・・・
「春の脈は弦。夏の脈は鈎。秋の脈は毛。冬の脈は石。」
これは、季節の脈なの?それとも病の脈なの?

/
 それはね、弦も鈎も毛も石も、四季の脈なんだよ。

春が弦脈なのはね・・・
春は五行では木だよね。
春になると木性の東方の気が盛んになる。
人も木性の肝の気が盛んになる。
すべてのものが生まれて、始まる。
樹木はまだ枝も葉っぱも出てないでしょ。
だから、脈も同じでね、生まれようとする力強さを持ちながらも、まだ見る異様な長くてやわらかい脈なんだよね。
それを、「弦脈」って言うんだよ。

夏が鈎脈なのはね・・・
夏は五行では火。
夏になると火性の南方の気が盛んになる。
人も火性の心の気が盛んになる。
すべてのものは、生い茂っている。
樹木は葉っぱが広がって、枝が垂れてくるから下に鈎(かぎ)みたいに曲がるでしょ。
だから、脈もおなじでね、はやく勢いよく来てゆっくり去るんだよ。
だから「鈎脈」って言うんだよ。

秋が毛脈なのは・・・
秋は五行では金。
秋になると、金性の西方の気が盛んになる。
人は金性の肺の気が盛んになる。
すべてのものは、終わるところ。
草木や花や葉っぱはみんな落ちちゃう。
枝だけがただ残っている様がまるで体毛みたいでしょ。
脈も同じでね、軽く来て浮いている。
だから「毛脈」って言うんだよ。

冬が石脈なのはね・・・
冬は水性の北方の気が盛んになる。
人は水性の腎の気が盛んになる。
すべてのものは、収まってじっと動かない。
真冬には水も石のように凍ってしまうでしょ。
脈も同じでね沈んでいて、ちょっと触れたトコは柔らかくても、強く抑えると滑らかで硬いんだ。
だから「石脈」って言うんだよ。

これが四季の脈なんだよ。

/
 もし、その四季の脈に変化があったらどうなるのかな?

/
 それはだね、春に弦脈でないと病気になっちゃうよ。

/
 弦脈でないってのはどういうこと?

/
 それはね、実していて強い気が感じられるときなんだよ。
これは大過って言ってね、病が外=体表にあるってことなんだ。
気が虚していて、微かに感じられる時は不及って言ってね、病が内=体内にあるってことなんだよ。
気が、楡の葉がそよそよやわらかく揺れるように感じられるのが、平脈って言うんだ。
いつもよりかたくて実していて滑なのは、まるで長い竿を触っているように、かたい節が当たるようなのは、病脈って言うんだ。
さらに急迫して、もっと強くてかたくて、まるで新しい弓の弦を張ったようなのは、死脈って言うんだよ。

春の脈は、微かな弦のようなのが平脈で、弦脈に胃の気が少ないのは病脈。
でもって、弦脈に胃の気がまったくないのは死脈なの。
春は胃の気が根本にあるものなんだよ。
つまり、春の脈は肝の気に、胃の気がちゃんとあってこそ、正常な脈なんだけど、そこに胃の気が少なかったり、なかったりすると、病気になったり死んだりするんだよ。

夏の脈は鈎。それに反したら病気になるんだ。

/
 反するってどんなふうに?

/
 それはね、気が来るのが実していて強くって大過といわれる時は、病が外=体表にあることなんだ。
気が虚してる微かに来るのは、不及といって、病が内=体内にあることなんだ。
その脈が来る時には、ころころ連なっている玉のようで、美しい珠玉をなでているような滑らかなかんじがするんだ。
それを平脈と言うんだよ。
脈がますます速くなって、まるで、鶏が足をあげて急いで走っているような脈は、病脈なんだ。
脈がはじめは曲がっていて、あとでまっすぐになって、まるで帯の留め金を手に取った時のように感じるのは、死脈って言うんだ。

夏の脈は、微かで鈎のような脈が平脈なんだ。
鈎が強くなって、胃の気が少ないのは病脈で、胃の気がなくなってただ鈎だけになると死脈。
夏も胃の気があるのが基本だよ。

秋の脈は毛脈。それに反したら病気になる。

/
 反するってなに?

/
 それはね、その気は実していて強く来るんだけど、それは大過っていうんだ。
そして、それは病が外=体表にあるってこと。
気が虚ろに微かに来るのは、不及って言って、病が内=体内にあるってことなんだよ。
脈が来る時、車のほろみたいに軽く抑えるとますます大きくなるのが平脈なの。
鶏の羽を抑えるみたいな脈は浮いても来なくて沈みもしないよ。
これは病脈なんだ。
軽く抑えて頼りなく浮いているみたいで、風に吹かれて羽毛が飛び散るような脈は死脈なの。

秋の脈は、微かな毛脈なのが平脈。
毛が多くて、胃の気が少ないのは病脈。
毛ばかりで胃の気がないのは死脈。
秋も胃の気があるのが基本だね。

冬の脈は石脈。
それに反すると病になる。

/
 何にそむくとそうなるの?

/
それはね、その気が実していて強く来
るなら、それは大過って言って病は外=体表にあるんだ。
気が虚して微かに来るなら、それは不及って言って病は内=体内にあるんだよ。
脈が来る時は大きくて軟らかで、去る時は小さくてとがっていて、まるで雀のくちばしのように、濡で滑らかなのが平脈っていうんだよ。
くちばしでコツコツついばむような連続する脈の中に、微かに曲がった感じがするのが病脈。
ちょうど縄がほどけたように、虚ろで散乱しているように来て、弓で石を弾いたように、はやくて硬いのは死脈。

冬の脈は、微かで石なのが平脈。
石が多くて、胃の気が少ないの病脈。
胃の気がなくて、石だけなのは死脈。
冬も胃の気があるのが基本だよ。

胃は水穀の海といって、飲食物をあつめるところで、四季の脈に栄養を与えている主だったところなの。
だから、すべての四季にうつ脈は、胃の気があるのが基本と言えるんだね。
四季の脈の病変とその予後をみるには、重要なポイントなんだ。

脾は中焦にある。
それが平和な時は、特にこれといって現れないけど、衰えた時に現れるんだ。
雀がついばむようにコツコツはやくかたくうったり、水がポツリポツリ漏れしたたるようにゆっくり力ない脈の時は、脾の気が衰えたことを現しているんだよ。




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